奇跡は起きるものではなく、起こすもの

office-asaji 代表
office-asaji craft 陶芸体験工房ウサジ工房 女将
佐々木麻路

こんにちは!office-asaji 代表 佐々木麻路です。

今日のメルマガは「奇跡は起きるものではなく、起こすもの」
というテーマでお話ししたいと思います。
奇跡は偶発的に起こるもの・・・。奇跡的回復とか、奇跡が起きて〇〇になった!とか
神秘的要素が含まれる言葉として使います。神の領域?の如く。

奇跡その1

昨年1月。余命2ヶ月。桜が見られないかもしれない・・という病気を患った講師が5月の講演会でこの言葉を力強く発信してくれた時、
私はそうか、奇跡が起きたのではなくこの講師自らが、5月に講演を必ずすると決めて、自ら奇跡を起こして今、桜が咲いて散った時期に
命がけでここに居るのだとはっきりと知る機会となりました。

自分の力ではどうすることもできないような出来事に遭遇した時、諦めたり投げ出したりするのも、ある意味自分を救う一つの手立てかもしれません。

けれどもそこでもうひと踏ん張りやってみる。負けると分かっていてもやってみる。こんなことやってどうなる?と見えるようなことでもやってみる。
その時、俄かにいわゆる「奇跡」を起こす事態が突如として現れるのではないだろうかと私は感じています。

画像の説明

奇跡その2

私は夫婦で、週末に陶芸体験工房をoffice-asaji craft 部門で営業しています。夫婦の趣味でスタートした陶芸でしたが、まさか自分たちの工房を持つ身になるとは思ってもいないことでした。

何事もとことんやるが趣味?の私たちのため、陶芸ものめり込み1年と半年の間、1度も欠かさず週末土曜・日曜は陶芸に携わっておりました。そして、結果としてその修行?をした工房を去る事態が起こり、私たちは居場所を失いました。山茶花の咲く秋。

途方にくれながらも、必ず来春。私たちは自分たちの工房を持つ!
となんの根拠も無いまま心だけは決めて、その半年間。他の工房を訪ね歩いたり、奉仕活動をしたり、イベントを覗いたり、今思えば脈絡も何もないような行動をしていたところ、ご縁がご縁を生んで、望んだ通りに、翌春に陶芸体験工房を開設することに繋がりました。

まさに奇跡が起きた!と、その時は思いましたが、いやこれは起こしたのだと今の私は感じます。
もしもあのまま、諦めていたら、もしもあのまま何も行動しなかったら、そういう機会にも人脈にも巡り会えなかった。一つの自分たちの趣味として終わっていました。

また、その半年の間、私たちが垣間見たのは、それぞれの方が、自分の持って居る技術を奉仕活動に費やして嬉々として活動して居る姿でした。
惜しげも無く与える姿に私たちは学びました。自分たちの技術向上のみならず、人への奉仕。これこそが大事なことなのではないか?

奇跡が起こる時というのは、奇跡その1も奇跡その2にも共通するものがある。そのkeywordは、「人への奉仕」。この想いがあって行動するとき奇跡が起こる。

予測不可能な時代。と言われ、それがここ数年来、まさに次から次へと引き起こり、事業や家庭生活に不安定要素を挟んできます。失う、捨てるそんな事態も望む、望まない関わらずやってきます。

奇跡が起きないかなぁと待っているより、奇跡を起こすぞ!と自ら立ってみる。なにか動いてみる。誰かに何かに奉仕してみる。
その先に、想いも及ばぬ奇跡が両手を広げて待ってくれている。

遠い世界で、また一つ争い事が起き、心を痛める出来事です。そしてこれまでは遠い世界でしたが、今の世の中は自分たちの生活にも影響が起きてくる。全てひとつながり。1日も早く平和が訪れてくれることを祈ります。
そんな折、生きる指針の一つに、何かお役に立てたらいいなぁと思い今回も書いてみました。

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